ふと、閣僚の言葉が思い浮かぶ。「沖縄に大きな負担を負っていただいている」。そこに、同じ国民であるという意識はまるでない。地元を歩きながら、日米安保という家の中、「いけにえ」と書かれた箱に閉じ込められたような感覚に陥る。
「冗談じゃない、私たちはいけにえじゃない」。戦後71年、日本のどこに、こんなふうに叫びたくなる地域があるだろうか。
米軍車両とすれ違う、米軍機が頭上を飛ぶ、通勤路で彼女の遺留品が見つかった場所を通る。そのたびに怒り、悲しみ、悔しさはぶり返す。遠く離れた場所で「再発防止に努める」という人たちに、沖縄で暮らす人たちの、こうした切迫感が分かるだろうか。
車を北に走らせた。午後11時、彼女の遺体が見つかった恩納村の県道沿い。供えられた無数の花束に、沖縄の怒りや悲しみ、そして犠牲の歴史をみる。この時だけはと怒りを抑え、静かに手を合わせた。「パラパラパラパラ」。米軍キャンプ・ハンセンの方角から射撃訓練の音が響いて、悼む心にまで入り込んできた。
引用:被害女性が歩いた現場で… 地元在住記者が見た沖縄の現実 | 沖縄タイムス+プラス
0 件のコメント:
コメントを投稿