ルクレール氏はこう言う。「弁護士の役割は捜査の最中、その手続きの合法性を検証するために存在すること、(自分の依頼人に)有利なすべての要素が考慮に入れられるようにすることだ。法廷では依頼人を弁護し争わなければならない。良心的に問題を感じるなど、それができない場合はそこを去るべきだ。弁護士は犯罪を弁護するのではなく、犯罪の容疑者を弁護するのだ」
イスラム過激派の弁護を複数担当したことのあるマーティン・プラデル(Martin Pradel)弁護士もこれに同意する。「人を裁くときは、その人物が行ったことによって裁くべきで、彼らが呼び起こした恐怖によって裁くべきではない。アブデスラム容疑者については、私たちのすべての恐怖が合わさった怪物ようなものとみなすのではなく、一人の犯罪容疑者として見ることが必要だ。(だが、被告が)推定無罪の権利を有する事実に触れることさえ、もはや冒とくのようになっている」
最近、悪名高い窃盗犯を担当したある別の弁護士は、弁護士を雇って運命を委ねるというのは「われわれにとって栄誉に値する信頼だ」と話す。そして弁護士とは「誰かが侮辱や社会的嫌悪の対象となっている時に、その防壁として働く」ためにそこにいるのだと語った。【翻訳編集】 AFPBB News
引用:「怪物」を弁護する弁護人たち、人権と無理解の間で (AFP=時事) - Yahoo!ニュース
「法廷では依頼人を弁護し争わなければならない…弁護士は犯罪を弁護するのではなく、犯罪の容疑者を弁護するのだ」と →「怪物」を弁護する弁護人たち、人権と無理解の間で(AFP=時事) - Yahoo!ニュース https://t.co/0ZWaSQR6Kh— Shoko Egawa (@amneris84) 2016年5月31日
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