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奉納\弁護士妖怪大泥棒神社・金沢地方検察庁御中
記録作成等の措置を講ずべき弁護士ツイート他

2016年6月14日火曜日

ストーカー行為による刺傷事件の被害者の意識回復と弁護士深澤まつり、を契機に考えた岡田進弁護士の国選刑事弁護の顛末: 金沢地方検察庁御中

次に小金井市のアイドル刺傷事件のことですが、深澤諭史弁護士が昨日辺り4つほど、関連したツイートをリツイートしていて、そのことも気になっていたのですが、事件を弁護士としての商売に結びつけて利用する意図やあざとさも考えてしまいます。

 時間を掛け掘り下げて調べてはいないのですが、ネット上の続報では、出血多量から2週間意識不明の状態が続いたらしく、脳にも臓器にも機能障害は認められないとのことです。

 私の平成4年の事件における被害者AAさんは、路面に頭部を打ち付けたことによる急性硬膜外血腫で、私が自首出頭した金沢西警察署から石川県立中央病院への救急車の搬送中に意識を失ったと聞いています。時刻にして4月1日20時30分頃と考えられます。

 「参考資料扱いにした過去の告訴状の下書き」には何度か書いていると思いますが、5月28日に予定されていた初公判は、準強姦での追起訴で3人の裁判官による裁判となって6月18日が初公判だったと思います。

 6月30日に次回の公判があって結審し、判決が出たのは同じ平成4年の8月3日でした。

 まったくわけもわからずに経験した初めての刑事裁判でした。実質的な審理というのは6月30日の公判だけだったと思います。時間にして30分ぐらいだったような気もしますが正確な時間はわかりません。法廷で時計を見たという記憶も一度もないので、時計はなかったように思っています。

 その6月30日の公判が始まってすぐ江村正之検察官が、被害者AAさんの意識が回復したという報告をしました。今考えてみると、この部分は公判調書の記録に記載を見たという憶えがありません。

 国選弁護人だった岡田進弁護士もまったく問題にはしておらず、接見自体が初公判が始まる前の1回だけでした。本来予定されていた5月28日に拘置所に移送され、岡田進弁護士が一度だけ接見に来たのはその2,3日後のことだったと思います。これははっきりした記憶です。

 岡田進弁護士の接見の内容と態度は「参考資料扱いにした過去の告訴状の下書き」に書いてあると思います。一言で言えば、まったくとりつくしまもないもので、拒絶に等しい対応でした。法廷以外で会ったのも話したのもその長くて10分程度の時間だけでした。

 「cal1992」というUNIXのコマンドで確認すると5月28日は木曜日でした。翌日の金曜日に接見があったという感覚もなく、土日は免業日で接見がなかったはずなので、6月1日の月曜日に岡田進弁護士が接見に来た可能性が高そうです。

 「参考資料扱いにした過去の告訴状の下書き」にも書いてきたと思いますが、接見に来た時の岡田進弁護士の態度は異様で、ずいぶんと攻撃的ですらありました。ずっとひっかかりがあって納得も出来ませんでしたが、確認の出来る問題とは考えませんでした。それだけ異様だったからです。

 一度だけ接見に来た時も事前の連絡などなかったですが、初公判前に国選弁護人の弁護士が一度も会いにこないことは、現在でも珍しいことではないようです。

 以上が岡田進弁護士による国選弁護の顛末ですが、岡田進弁護士の異様な態度が何を意味するものであったのか、その謎を紐解く上でも重要な手がかりとなるのが、控訴審の私選弁護人となった木梨松嗣弁護士と被告訴人OKNの関係です。

2016-06-14 火曜日 04:22 <<[[ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]<<

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