メディアといえば、こんな出来事があった。あるメーカーで大規模な不祥事が発生し、危機管理を担当していた私たちは、文字どおり毎日、時には1日に何度も社長と顔を合わせ、危機脱出に向けた戦略を立て、行動プランを調整し、社長の記者会見の原稿を書き、内外の当局や関係者と交渉していた。
案件が大きな節目を迎え、深夜、経営陣と弁護士が数名で合議し、方針を決めた。重要な事柄ほど非公式な場で決まるのは、企業不祥事でも同じである。議事録などない。根回しが終わる前に外に漏れては実行に支障をきたす内容であったため、いつまで内容は秘密に保つかということまで合意された。誰がその場にいたか、誰がどのような意見をどんな表情で述べたか、お互いにはっきりと記憶できる状況であるから、そのような合意をするまでもなく、秘密は当然に保たれる・・・はずであった。
実際には、その方針は、翌朝の朝刊や朝のニューズ番組さえ待たず、夜明け前に某新聞社のウェブサイトで正確に出てしまった。漏らせば自分が話したことがかなりの確率でわかってしまう会議。それでも、秘密裏の決定が数時間後には日本中の人が自由に読むことができる状態に置かれてしまう。私にとっては、メディア、とりわけ本気になったときの新聞社の取材力を思い知った出来事だった。この事件では、ある3連休に、3日続けて(それぞれ違う新聞に)書かれたくないネタを書かれたこともある。こうなると、しばらく新聞は読みたくなくなる。
記者さんたちの取材力は、率直にすごいと思う。よく調べるなと思うし、実際には書けないネタが多いだろうことを思うと、どれだけ話を聞いて回っているのか、想像もつかない。深夜まで法律事務所や会社、時には自宅の周辺で待機している様子を見ると、頭が下がる。
それほど勤勉で取材力のある記者さんたちを私は尊敬しているが、残念ながら協力はできないことの方が多い。今の時代、不祥事でもM&Aでも倒産でも、基本は情報の開示である。しかし、タイミングというものがある。書かれてはまずいタイミングで書かれるのは、何としても避けたい。取材への対応として、自分から積極的には話さないが、嘘はつかないし、記者の間違いは正すという方針の弁護士も結構いる。私は少し違う。知っていることでも平気で知らないと言うし、記者さんが間違っていても訂正してあげたりはしない。それで誤報した記者さんが信用を失い、又は次のネタを書くのに萎縮してくれたら、こちらに有利になるかもしれないからだ。記者さんに対して誠実であることより、自分の職務に誠実であることの方が私には優先するので、秘密を守ることが自分の職務なら、前者を犠牲にするのは平気だ(・・・ごめんなさい)。
尊敬する記者さんたちだが、いくつか苦言も呈したい。書かれる立場にいる人たちのすぐ近くにいて思ったことである。
その1。単純な話にしたがる傾向は自覚した方がいいと思う。わかりやすい記事にしたい気持ちはよくわかるが、度が過ぎていると感じることも。世の中は、いつも単純なわけではない。
その2。もう少し勉強して欲しい。我慢して3つだけ法律の条文を読めば、ずいぶんいい記事になるのに、ということ、時々あります。経済部にも社内弁護士を入れたらどうでしょうか。
その3。決め打ちには気をつけて。仮説は大事だが、仮説を支持しない証拠にこそ注意を向けてほしい。メディア的な通説と違う内容はなかなか記事にならない。仮説で悪者にされた当事者は泣いています。
引用:秘密裏の経営判断はなぜ漏れたのか? 記者と弁護士 - 法と経済のジャーナル Asahi Judiciary
2016年6月19日日曜日
引用:知っていることでも平気で知らないと言うし、記者さんが間違っていても訂正してあげたりはしない。それで誤報した記者さんが信用を失い、又は次のネタを書くのに萎縮してくれたら、こちらに有利になるかもしれないからだ。
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