2016-07-07 木曜日 21:08 >> [[ ←これからの記述範囲の開始時刻]]>>
さきほど見出しのタイトルを決めるときに、「疫病神」という言葉が頭に浮かんだので、Googleで検索を掛け、それからF9キーで、告発-金沢地方検察庁御中_ツイッター(@kk_hirono)に投稿をしました。
そのあとにページを開いて読んだのが、次の順序になります。
八坂神社のスサノオや牛頭天皇は行疫神だったの... - 日本史 | Yahoo!知恵袋 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11105789411
スサノオについてです - 八坂神社にはスサノオが... - 日本史 | Yahoo!知恵袋 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1351855973
祇園祭には蘇民将来が欠かせません。 - 八坂神社 - 【京都の観光なら】ガイドブックス https://gbooks.jp/article/17064
どうも牛頭天王やスサノオノミコトは災いをもたらす神でもあったようです。疫病神とはよく知られていると思いますが、貧乏神をまつる神社があるとは考えもしませんでした。
3つ目のページで見た蘇民将来ですが、数日前から気になりながらなぜか調べる気は起きず、資料を読んだはずなのになにか思い出せないと思っていましたが、このページに書いてあることを読んですぐに思い出すことが出来ました。
蘇民将来の記述を見たのは、宇出津祭礼委員会が昭和40年だったと思いますが、その年に発行したという古い冊子を読んで、そこに宇出津の各町内のキリコのナカフクの意味が書いてあったからです。
私の住む町内は小棚木と言いますが、その小棚木のキリコのナカフクの文字について、蘇民将来のことが書いてあったと思います。実際のキリコの文字は何が書いてあるのかさっぱりわかりませんでした。
今も、昨年か一昨年にもらった町内のキリコの集合写真で確認をしたのですが、読めたのは3つある3文字目の「宝」という文字だけでした。大棚木のナカフクも蘇民将来に関係していると書いてあったと思います。
その大棚木にあるのが宇出津の白山神社で、白山神社と酒垂神社の両宮が、漆原にある八坂神社に奉仕する祭礼が、あばれ祭りだと紹介されています。また、あばれ祭りの正式名称は弥栄祭りとのことです。
八坂神社に祀られているのがスサノオノミコトであることは子供の頃から知っていましたが、牛頭天王のことを知ったのはインターネットで情報を見てからのことで、羽咋市に住んでいた平成17,18年頃のことかと思います。
牛頭天王とスサノオノミコトについては、これまでネットで何回か調べたことがあり、主な情報源はWikipediaだったと思いますが、仏教と神道という違いがあるはずなのに、どちらもよく似たいわれがあると感じていました。
/**********(引用開始)**********
引用URL>>>>:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8B 牛頭天王 - Wikipedia
旅の途次、長者である弟の古単将来に宿所を求めたが、慳貪な古単(古端、巨端)はこれを断った。それに対し、貧乏な兄の蘇民将来は歓待して宿を貸し、粟飯をふるまった。蘇民の親切に感じ入った牛頭天王は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民にさずけ、蘇民は富貴の人となった[5]。
龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙竭羅の三女の婆利采女を娶り、8年をそこで過ごすあいだに七男一女の王子(八王子)をもうけた。豊饒国への帰路、牛頭天王は八万四千の眷属をさしむけ、古単への復讐を図った。古端は千人もの僧を集め、大般若経を七日七晩にわたって読誦させたが法師のひとりが居眠りしたために失敗し、古単の眷属五千余はことごとく蹴り殺されたという[3]。この殺戮のなかで、牛頭天王は古単の妻だけを蘇民将来の娘であるために助命して、「茅の輪をつくって、赤絹の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との護符を付ければ末代までも災難を逃れることができる」と除災の法を教示した[5]。
以上が、『祇園牛頭天王御縁起』の概要である[注釈 2]。
**********(引用終了)**********/
そういえば、今日、コンセールのとの宇出津図書館で「能都町物語」という上中下三巻の一冊を読んでいたところ、宇出津という地名の由来の諸説が書いてあって、牛津のことはありましたが、牛頭天王と結びつけた説はありませんでした。
今日、茂平食堂で見たのが次の週刊誌の記事です。気になるところがあったので、スマホで撮影をしておきました。疫病と関連の深い、歴史的な意義、問題提起とも考えるところの記事でした。
投稿者:s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2016-07-07 21:59 ツイート: https://twitter.com/s_hirono/status/751037932757094400
2016-07-07_13.44.35_茂平食堂で見た薬の副作用に関する週刊誌の記事.jpg https://t.co/o28R1LYAKf
投稿者:s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2016-07-07 21:59 ツイート: https://twitter.com/s_hirono/status/751037907561877506
2016-07-07_13.44.29_茂平食堂で見た薬の副作用に関する週刊誌の記事.jpg https://t.co/JTbSrjNzi8
上記のスマホで撮影した記事をあらためてみると、「うつ病・認知症・統合失調症の薬 医師たちが次々と告白「副作用はものすごくある。でも病気は治りません」」という見出しになっていました。
それらしい記事のことは弁護士のツイートでも見かけていた憶えがあり、いくらか関心は持ったものの記事の内容は一部を少し読んだだけでした。
茂平食堂を出たあと、再び宇出津図書館に入ったのは確認しておきたいことがあったからで、それが済むとすぐにこの告訴状の続きを書くため家に帰るつもりでいました。
目的は7月1日の北國新聞にありました。そこに宇出津祭礼委員会の広告があって、全員の祭礼委員の名前が書いてあるのですが、茂平食堂に行く前に一人の名前に間違いがあることに気が付き、もう一つ間違いがないか確認しておこうと思いました。
多くて一週間分かと思っていたのですが、10日分から2週間分ほど図書館には置いてありました。その場所に私が近づくと、他の人が最近の北國新聞を数部返しに来たのと引き換えに、残りのものをまとめて持って行ってしまったのです。
しかたなく新聞紙が戻るまで時間を潰そうと思い、向かったのが一番奥にある郷土史関連のコーナーで、そこで見つけたのが、さきほどの「能都町物語」というような古い本でした。
あばれ祭りのナカフクに関する記述も興味深く読みましたが、印象的だったのは「さよなら橋」のお話でした。その章の最後から前のページをスマホで撮影しました。
投稿者:s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2016-07-07 22:26 ツイート: https://twitter.com/s_hirono/status/751044606180007936
2016-07-07_14.36.30_宇出津図書館・能都町物語の「さよなら橋」.jpg https://t.co/Am2zfxZv0E
「さよなら橋」という名前を知ったのも今年の春祭りで同じ祭礼委員の年配の人から話を聞きました。その前にも一度は聞いたような気もしますが、意味などわかりませんでした。
その「さよなら橋」は、宇出津の音羽町、昭和町、新村本町の境にあるような橋でとても小さな橋です。祭礼委員の年配者には、音羽町に遊郭があった当時、遊女と客が別れるのを惜しんでつけた名前のように聞いていました。
「取り消し扱いとする平成28年7月1日付告訴状」の記述には含まれているかもしれませんが、今年の春の曳山祭りでは白山神社の人形のテーマが「仙台高尾身請け話」で、白山神社の曳山がもとは音羽町のものであったとも聞きました。
別の昔話でも歴史上、遊女は不遇で恨みをのんで死んだ人が少なくないと読んだことがありました。世に言う226事件の原因となった昭和の大恐慌においても、東北各地から遊女としての身売りが続出する状況であったと本で読んだことがあります。
ここでは立ち入りませんが、売春と医療、離島、過疎地といったテーマは、小倉秀夫弁護士と結びついており、法律と神仏を結びつけて考えるようになったのも、小倉秀夫弁護士が2chで、「御本尊」と呼ばれていたことが始まりとも言えます。
ここ数日、小倉秀夫弁護士のツイートはほとんど目にしていませんが、進路を左右するツイートを深澤諭史弁護士のリツイートとして目にしています。
リツイート:fukazawas(深澤諭史)>2016/07/06 10:59/2016/06/02 11:12> https://twitter.com/fukazawas/status/750509540982960128 >
Hideo_Ogura (小倉秀夫)> https://twitter.com/Hideo_Ogura/status/738191517924261888 > 正直、「お金が取れなくても、爾後、親御さんがこいつを管理してくれるって言うなら良かったじゃないですか」的な事案とかね。
リツイート:fukazawas(深澤諭史)>2016/07/06 10:59/2016/06/02 11:11> https://twitter.com/fukazawas/status/750509527976468480 > Hideo_Ogura (小倉秀夫)> https://twitter.com/Hideo_Ogura/status/738191218929074176 > 私たち弁護士に相応のお金を払ってでも被害者が発信者情報開示請求したくなる事案には、発信者側がかなりやばい事案が多いんですよ。RT @butyatyatyo: @Hideo_Ogura @mutsukuroki 正しい事を書いたら入院させられるのね。分かります。
これも病的なものとして印象づけていますが、精神疾患の治療薬の問題とも通じるものがあると思います。ストーカー問題も同じです。
薬物の副作用を取り上げた週刊誌の記事については、今夜次のツイートも目にしました。()内は変更が多いですが、平成18年ぐらいからモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のブログのコメントで目にしていた感熱紙という人物です。
ツイート:thermalpaper00(感熱紙(リフレクターインコム)):2016/07/04 23:33: https://twitter.com/thermalpaper00/status/749974495406878720 : まあ雑誌を信じて死ぬのなら自業自得ではないかな?勿論遺族は出版社を訴えて潰すべきですが。<改行>「薬は飲むな」男性誌キャンペーンで診療不信の患者殺到、病院がパニックに…(週プレNEWS) - Yahoo!ニュース https://t.co/U3Rfck00YB
「まあ雑誌を信じて死ぬのなら自業自得ではないかな?勿論遺族は出版社を訴えて潰すべきですが」とまで書いてありますが、現職の警察官である可能性の高い人物で、今夜は他に北九州の警察官であることの具体的ツイートもありました。
今もGoogleの検索から存在を確認しましたが、私のことだと思われる次のツイートも投稿しており、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)と同じく、私や母親の人生に計り知れぬ影響を与えた人物です。
ツイート:thermalpaper00(感熱紙(リフレクターインコム)):2010/07/12 18:11: https://twitter.com/thermalpaper00/status/18341637684 : 私のTL上に、自身が関係する刑事事件の調書等の証拠を再審請求のためと称して延々とHPにアップしている人がいる。今後取調べ可視化が実施された場合、上記のような事態を想定しておかなければ、自分の知らない所でプライバシーが垂れ流しとなる危険性がある。
今日取り上げたジャーナリスト江川紹子さんのニュース記事とともに、再審請求という制度自体に、非常に大きな疑義を考えさせたツイートであり、私に再審請求という法的救済措置を放棄させたとも言える現職警察官のツイートです。
次の今夜になってブラウザのタブで開いたままになっていることに気がついたものですが、Togetterのまとめで、リンクを開くことになったのもモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートがきっかけだったと思います。
ツイート:motoken_tw(モトケン):2016/07/06 11:51: https://twitter.com/motoken_tw/status/750522637818798080 : ネットだとある人物の過去の言動が簡単に検索できる。その観点では、ネット世代の若者が福島みずほ氏を支持する割合はたしかに低下するだろうな。彼女に限らないけど印象深い発言が多い人なので例示しちゃいました。時節柄すみません m(_ _)m
ツイート:motoken_tw(モトケン):2016/07/05 23:15: https://twitter.com/motoken_tw/status/750332392867373056 : 君よ三途の河を渉れ
ツイート:motoken_tw(モトケン):2016/07/05 11:24: https://twitter.com/motoken_tw/status/750153265883471872 : 精神鑑定をしたほうがいい事案かな?そうだとすると、実名報道はまずかったんじゃないのかな? https://t.co/qIRf0WGccl
ツイート:motoken_tw(モトケン):2016/07/04 09:49: https://twitter.com/motoken_tw/status/749766947055673345 : 週刊誌の記事というのは、基本的に、ど素人の記者が、たくさん売れればいいという考えで書いているからな。 https://t.co/2qrnJYHet4
モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のTwitterのタイムラインを遡り、気になるツイートを上記に掲載しました。たどり着いたのが、「週刊誌の記事というのは、基本的に、ど素人の記者が、たくさん売れればいいという考えで書いているからな。」という内容のツイートです。
これはと思う弁護士のツイートは、その都度、スクリーンショットとして記録するようにしております。これも内容的に、すぐにスクリーンショットを記録したものと思います。
時刻は7月8日10時4分になっています。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に関する記述が中途半端になりますが、木梨松嗣弁護士に焦点をあてたいと思います。
木梨松嗣弁護士が何をしたかというと、精神鑑定を受けさせるという状況を作り出し、その後なにもしなかったことです。木梨松嗣弁護士自信が作成した書面も写真ファイルとして保存したものがあり、今もネット上に公開されているかもしれません。
これまでは祭礼委員のことであわただしく、腰を据えて取り掛かることもできなかったですが、補充書において掘り下げることも考えています。
もっともその木梨松嗣弁護士の刑事弁護の成果物である平成5年9月9日付名古屋高裁金沢支部小島裕史裁判長の控訴審判決は、木梨松嗣弁護士の主張を汲み入れたもので、強固な犯罪意思が表象されているとも言えます。
弁護士という立場で、なんでも許されると理屈付け、過去の裁判例、パターン化された類型などを都合よく寄せ集め、一方的で独善的な法的処理を行ったとも言えます。この点参考になるのが、日頃の言動としての深澤諭史弁護士です。
ストーカーというのもパターン化された類型の一つかと思います。「ストーカー」という言葉を目にするようになったのは、平成9年1月18日に私が福井刑務所を出所した直後でした。タイトルに言葉を含むドラマが放送されていました。
以前、調べたことがあるのですが、ストーカーをタイトルに含むテレビドラマは前年つまり平成8年の11月ころか秋にも放送されていたようです。
外形的事実として、私の事件はストーカーだったと思いますし、その後、安藤健次郎さんとの関係を修復しようとする過程においても、石川県警察の警察官から、時に冗談交じりにせよストーカー扱いを受けたことは、果てしなく大きい問題です。
平成4年当時と現在の警察の捜査や刑事手続には違いもあると思いますが、私が平成4年に実際に受けた取り調べなどの印象では、とにかく有罪方向の証拠や事実を集めるだけで、それを検察庁に送り、それでお終い。御役目御免です。
当時、刑事裁判の知識など皆無でしたが、谷内孝志警部補は最後の方の取り調べのとき、裁判所の公判には自分も呼ばれて尋問を受けることになるだろう、と屈託もなく当然のように話していました。
拘置所に移送された平成4年5月28日の午前中が最後の取り調べでしたが、谷内孝志警部補の姿を見たのもそれが最後でした。北安江の借家に住んでいた頃、県警本部にいると聞き出し、折り返し本人から連絡をくれるように頼みましたが、連絡はなかったです。
この続きは、金沢地方裁判所の一審の国選弁護人となった被告訴人岡田進弁護士の犯罪事実として、記載をしたいと思います。
私は法律の専門書で勉強したことがあるので知っているつもりですが、ネットの情報などを見ていても全く知られていないと感じるのが、刑事裁判における控訴審の構造です。木梨松嗣弁護士はその構造を巧みに利用したとも思います。
法律の知識も今の私には薄れていますし、法改正で変わっていることもあるかもしれません。しかし、ここで意味を持つのは平成4,5,6年当時の刑事手続や法制度です。
当時、控訴審は法律審で被告人には法廷における発言権もなければ、出頭義務もない、ということになっていたはずです。弁護人が請求し裁判所が認めた場合にのみ、本人の発言が許される、というもので具体的には本人尋問という機会でした。
これも公判調書として記録があって、写真ファイルとして公開もしているかと思います。一審の方は速記録の記載に疑問に思う点もありましたが、控訴審では、それほどおかしいと感じるところはなかったように記憶しています。
本人尋問ということでしたが、木梨松嗣弁護士から事前の打ち合わせのようなものはなく、準備書面のようなものが郵送されてきて、それも写真ファイルとして公開もしているかと思います。実に簡単な箇条書きでした。
私は精神的に追いつめられて、安藤文さんに事実を聞き出すことを決意とし事件を起こしました。後悔や反省はあったつもりですが、まともに相手にはされず、独居房に閉じ込められたまま放置され続けました。
犯罪の事実を認めた時点で、もはや用済みと言った感じで、あとは適当に処理するという感じで、形式的な儀式のようなものでもありました。なにより信じられなかったのは、安藤文さんの立場が無視されていたことです。
加害者と被害者という立場は絶対的なもので、個別の事情などまったく問題にされませんでした。それはまったく信じられないほどです。
何より性犯罪の加害者と被害者という立場にされたのですから、それだけで周囲の印象も決まったものになるでしょうし、ある程度の事情は理解されたとしても、プライバシーや守秘義務の壁で、弁護士は凄まじくやりたい放題です。
「取り消し扱いとする平成28年7月1日付告訴状」には記載しておらず、「参考資料扱いにした過去の告訴状の下書き」の記載になるかもしれませんが、平成5年9月7日の判決当日、私は革手錠をつけて保護房にぶちこまれました。
革手錠は名古屋刑務所で死亡事故があり、社会問題にもなって使用禁止になったと聞いております。とにかく精神的に追い詰める状況下を作出したのが、木梨松嗣弁護士の刑事弁護の手法です。
まっとうな刑事弁護に仮託しているのも木梨松嗣弁護士の悪質さです。木梨松嗣弁護士がそれほど特別とも思えません。弁護士そのものが災厄を撒き散らす化け物じみた存在だと私は見切りました。
どんな刑事事件でも弁護士は、その一面しか見せませんし、一面を大きく見せ他面には目もくれません。その性根の根底にあるのは凄まじい泥棒根性だと私は考えています。
木梨松嗣弁護士は、形式的に控訴審の刑事手続を悪用しました。その悪質さと法益侵害の大きさを理解するには、木梨松嗣弁護士や岡田進弁護士らが取り合わず、無視して放置した安藤文さん側の事実を明らかにしなければなりません。
被疑者は決まって都合よく嘘をつく、というようなイメージも、泥棒根性の泥棒商売の弁護士らがひねり出した都市伝説のようなものだと私は考えています。刑務所という世界で数年間生活してきたので、なおさら現実的にそう思います。
被疑者は嘘をつかないというつもりはないです。証拠が弱ければ争いもするでしょうが、そのあたりは駆け引きのようなものかと思います。ほかは、とにかく被疑者となったものの恐怖心を煽り、正常な判断力を奪うことです。
袴田事件の袴田さんも勾留中に精神を破壊されていますし、同じ小島裕史裁判長が逆転有罪とした福井女子中学生殺害事件の被疑者も、精神が変調し医療施設で生活しているという報道を見ました。勾留中に自殺する人も珍しくありません。
本件は殺人未遂事件としての告訴ですが、告訴人である私が被害者ということになります。あとで書きたいと思いますが、実質的には惹起した法益侵害の危険性の高さから、安藤文さんを被害者とする殺人未遂事件としての告発、という意義が大きいものです。
次は、木梨松嗣弁護士の犯罪刑事弁護の成果物でもある被告訴人小島裕史裁判長の平成5年9月7日付名古屋高裁金沢支部判決の内容をベースに、そこから除外された安藤文さんに対する法的侵害を詳らかにしたいと思います。
2016-07-08 金曜日 11:38 << [[ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]<<
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