2016-07-07 木曜日 11:41 >> [[ ←これからの記述範囲の開始時刻]]>>
今回あまり細かいことは制約上掛けないのですが、基本的な流れは「取り消し扱いとする平成28年7月1日付告訴状」に記載をしたと思います。
金沢西警察署の留置場に生活していた5月の10日から中頃と推定されますが、面会に来た母親から京都の親戚の世話で私選で弁護士をつけてやれる、と言われたのが始まりでした。その時は弁護士の名前を聞いていなかったと思いますが、その後の成り行きから木梨松嗣弁護士に間違いないと考えています。
今となっては、その母親から話を聞くこともできなくなっています。母親は現在、脳出血の後遺症で半身不随となり病院にいますが、認知症も患っており昔の話を聞ける状態ではありません。
この事実も金沢地方検察庁がどれほど重く受け止めているのかと疑問に思い、昨日は金沢地方検察庁のおかこしさんに厳しい言葉を投げかけました。
また、母親は10年ほど前から統合失調症も患っていたと聞いています。これは半年に一度のカンファレンスのときに発症時の年齢を聞いています。正確に憶えていませんが、2ヶ月ほど前の時に、計算をすると10年ほど前になっていました。
平成28年の現在、10年前は平成18年になりますが、私は平成21年の3月15日まで同じ石川県の羽咋市で仕事をしアパートに住んでいました。月に2,3回は休みに母親のいる宇出津の実家に帰っていました。
名前の方は忘れましたが、役場の福祉課の女の人から、母親が精神的に不安定となり問題行動を起こし、近所に迷惑をかけることもあると聞くようになりました。
一月ほど前にずいぶんと久しぶりに見かけたような気がしましたが、夕方のAコープ能都店で、その役場の福祉課の人らしい女性を見かけました。以前はちょくちょく見かけていましたが、決まって夕方の遅い時間だったと思います。
また、宇出津にある能登町役場庁舎ではなく、松波(平成17年ころ能登町合併前の旧珠洲郡内浦町)の庁舎にいるとも、以前聞いた憶えがあります。
まだ普通に会話が出来た頃も、母親は木梨松嗣弁護士について、「はいだるい弁護士やった。」と残念そうに言うだけで、それ以上のことを語ることはなく、私も踏み込んだ質問はしませんでした。
「はいだるい」というのは最近地元でも聞かなくなった方言の一つですが、「おもしろくない」とか「つまらない」とか「たよりにならない」とか、そういったニュアンスのある言葉です。
母親もどこまで事実を知っていたのか疑問ですが、妹の愛知県と京都の二人のおばさんにも、多くを語ろうとはしなかったと聞いています。
「取り消し扱いとする平成28年7月1日付告訴状」で細かく書いたと思いますが、私は京都の母親の妹夫婦の世話で、木梨松嗣弁護士を紹介してもらったと面会室で母親から聞いていました。
ツイート:hirono_hideki(奉納・社会汚染:弁護士泥棒神社\廣野秀樹):2012/08/13 15:15: https://twitter.com/hirono_hideki/status/234895917776519168 : 午前中から珠洲警察署に行って来ました。珠洲市に入ってまもなく、どしゃ降りの雨で、警察署に着いた頃は、ずぶ濡れでした。帰りは寄り道もして、15時過ぎに戻ったところです。
たびたび年を忘れ、日付も長い間、8月12日と勘違いをしていたのですが、ツイログで上記のツイートを探しだし、2012年8月13日だと確認しました。15時過ぎに宇出津に戻っていたとは意外に思いました。九十九湾で遊覧船に乗っていたのは昼過ぎになりそうです。
この8月13日の朝、私は珠洲警察署に電話を掛け、今からそちらに向かうと言って出かけようとした時に、電話が鳴り、出ると京都の母親の妹のおばさんでした。ずいぶん久しぶりの電話だったと思います。
とっさにひらめいたのが、木梨松嗣弁護士を紹介したことの確認でした。帰った返事は全く意外なもので、費用のことをすがりつくように頼まれただけで、弁護士の紹介などしていないといい、私の友達の紹介だと母親から聞いたようなことを言われました。
その日の夜か、数日後か忘れましたが、その京都の母親の妹のおばさんから電話があり、思い出したように被告訴人大網健二のことだと言われました。「大網」という名前が出たので、被告訴人大網健二のことに間違いないと私は判断しました。
2016-07-07 木曜日 12:54 << [[ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]<<
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