大学院に行こうかと考え、大学時代の恩師に相談しましたが、「君は成績が悪いから、大学院に来たってしようがない」と言われ、司法書士事務所の事務員の仕事も断られました。この頃から司法試験の道を考えるようになりました。高校の同級生だった妻の父は無医村の医師で、スクーターで山道を往診し、治療費代わりに大根やニンジンをもらって帰ってくる人でした。私もそんな人間になりたい、と思うようになったのです。義父の死後に妻が相続していた遺産300万円を借り、司法試験を受けることにしました。生活費は妻に稼いでもらい、まさに背水の陣です。週1回の銭湯を除いてほとんど外出せず、誰とも話しませんでした。3年で受からなかったら辞めるつもりでしたが、猛勉強の末、1年で合格しました。(聞き手 滝口亜希)
引用:【話の肖像画】元最高裁判事・山浦善樹(2)1年で銀行を辞め、ヒモに(2/2ページ) - 産経ニュース
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